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福岡高等裁判所 昭和54年(う)276号 判決

本店所在地

福岡県田川市大字猪国四五〇番地の一

商号

大得山株式会社

代表者氏名

田中千鶴子

本籍

福岡県田川市大字猪国一、五一九番地

住居

同県同市大字猪国六九〇番地

医師

田中得雄

昭和四年一〇月一七日生

右大得山株式会社に対する法人税法違反、田中得雄に対する法人税法違反、所得税法違反各被告事件について、昭和五四年三月二八日福岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人両名から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官中野勇夫出席のうえ審理し、つぎのとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人田中得雄の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人両名の弁護人木下春雄、同廣瀬達男連名提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官中野勇夫提出の答弁書のとおりであるから、これらを引用する。これに対する当裁判所の判断は、つぎのとおりである。

第一点 事実誤認の趣旨について

所論は要するに、被告人らは、昭和四六年分及び同四七年分の所得税及び法人税についてこれを不正に免れる意思はなかった。医薬品の仕入及び給食材料費その他の経費について公表帳簿等に架空計上あるいは水増計上したのは、これに相当する金額の支出が実際にあったがその証憑書類等がなかったためやむなく右のような手段をとったものである。また雑所得についてもこれを公表帳簿に記載しなかったのは経理職員の不馴れによる記帳漏れである。しかしながら、これらの点を立証する証憑書類がなく、又原審で取調べた証拠にあらわれた諸般の情況に照らし控訴審ではこれらを主張しない。たゞ右両年分の所得のうち簿外仕入の薬品費の算定と被告人田中の昭和四六年分の所得のうち土地の譲渡所得を短期譲渡所得と認定している分はどうしても納得できないので、右二点について原判決の事実誤認を主張するというのである。

そこで右二点について順次判断する。

一  簿外仕入の薬品費について

所論は要するに、原判決は「当事者の主な主張に対する判断」の第一において、大法山病院の薬価率について、検察官及び被告人両名の主張のいずれも採用せず、昭和四六年分二〇・一一%、同四七年分一七・五七%を認容すべきものとしたのは比較的妥当であり、その算出の方法も相当なものといえるが、簿外薬品の現金仕入れを一率に社会保険研究所発行の薬価基準点数早見表(以下薬価基準という)の単価から三割差引いたものを一般仕入れ価格とし、その一般仕入れ価格からさらに三割安で仕入れたとしてその薬品費を算出したのは早計である。真実の簿外仕入れの薬品の値引率は一部(約二割)の割安品を除けば薬価基準の二割安程度である。原判決が認容した薬価率の計算方法に従い、簿外仕入れの薬品費を薬価基準の二割安として計算すると、その薬価率は昭和四六年分二二・〇七%、同四七年分一九・一六%となり、簿外仕入れの薬品費は昭和四六年分六四、三五九、八八〇円(原判決の認定は四一、八二四、九三一円)、同四七年分七二、〇六九、三三三円(同四七、八一七、七〇四円)となるので、原判決は昭和四六年分につき二二、五三四、九四九円、同四七年分につき二四、二五一、六三〇円をそれぞれ過少に認定したことになるというのである。

しかしながら、原審記録及び証拠を精査し、当審における事実取調の結果を合せて検討するに、原判決が前記「判断」の項第一において詳細に説示するところは相当としてこれを肯認することができる。すなわち、原判決挙示の関係各証拠によれば、

(1)  被告人田中は、昭和四二、三年ころから税の逋脱をはかるため大法山病院の経理担当者である福田恵に指示して同病院の医薬品の仕入れ、給食材料費その他経費の架空計上あるいは水増計上をしたりして所得の一部を秘匿していたこと、本件の昭和四六、四七両年分の事業所得についても簿外仕入れの薬品費が大きな争点になったが、同病院では簿外仕入れの薬品については領収書その他これを裏付けるに足る資料を一切提出しなかったので、昭和四九年八月ころ福岡国税局の福島査察課長が被告人田中に指示して全患者の約一割に当る患者五〇名分のカルテを抽出させ、同カルテの内容からその薬品費を推計する方法をとったこと、そこで同被告人は右五〇名の患者毎に使用した薬品名、数量、自己の作成した薬品原価表による金額及び収入金を各月毎に集計し、各年度の当該患者毎にその収入金に対する薬品費の割合(薬価率)を算出したうえ、五〇名分のその平均値を求める作業を行い、その結果を国税局に提出したが、その薬価率は昭和四六年分で二三・一〇%、同四七年分で二三・一二%であったこと、なお各薬品の単価は、公簿仕入れの分については公簿(仕入帳・納品書等)に記載された単価を、簿外仕入れの分については、その頃被告人田中が問屋に問い合せて得た昭和四六年及び同四七年当時の一般の仕入単価をそれぞれ採用したものであること、しかしながら、国税局側は被告人田中の作成した右薬価率及び薬品費は同被告人の財産状態及び大法山病院と同規模の他病院の薬価率等から見て高過ぎるとして同被告人にこれを修正させたが、その経緯は原判決説示のとおりであること、

(2)  その後福岡国税局の伊東次男が職員数名の協力を得て被告人田中提出の右報告書のうち昭和四七年分を改めて調査したこと、同人らが薬品問屋に同年度の薬品の一般的な納入価格を照会したところ、普通は薬価基準の七〇%以下で納品している旨の回答があったこと、さらに大法山病院で押収された仕入帳及び納品書から公簿仕入れの薬品のうち年間三〇万円以上の薬品(その合計は公簿仕入れの薬品全体の六〇数%に相当する)が薬価基準の六一・四九%で納入されていることが判明したこと等を考慮し、同病院の簿外仕入れの薬品は堅く見て薬価基準の七〇%で納入されているとみなし、これを基準として被告人田中の作成した原価表を計算し直したこと、その際、薬価基準の七〇%相当額と右原価表とを対比し、右相当額に近い原価(単価)は多少の差はあっても被告人の単価を採用し、右相当額より著しく低い単価は相当額に直し、逆に薬価基準より高い単価は薬価基準のそれに従い、どの薬価基準に該当するかわからない薬品あるいは正確な薬品名のわからないものについては医師である同被告人のいう単価を採用するなど各薬品毎にその単価を修正し誤記を訂正したりして集計した結果、昭和四七年分の薬価率は一七・五七%であることが判明したこと、その詳細は伊東次男作成の昭和五二年一二月二一日付、同五三年四月二四日付、同年五月三一日付各査察官調書記載のとおりであること、なお昭和四六年分については薬価基準が同四七年二月に改正されていること等を考慮して右伊東らは改めてこれを調査しなかったこと、

(3)  被告人田中から昭和五三年五月一六日付で「国税局側提出の昭和五二年一二月二一日付五〇名分、昭和四七年薬価率計算根拠により作成した薬価率計算表」が提出されたが、同表では薬価率が昭和四六年分二〇・一一%(但し、患者一名は資料不明として四九名について集計)、同四七年分一七・七七%と修正されており、右薬価率については同被告人も原審ではこれを争っていないこと

がそれぞれ認められる。

(4)  以上の各事実を総合すると、簿外仕入れの薬品費の認定にあたり原判決が採用した推計の方法は極めて合理的であり、昭和四六年分については被告人田中の自認する二〇・一一%の薬価率を、同四七年分については国税局職員が正確に計算し直した一七・五七%の薬価率をそれぞれ採用し、これにより昨年分の簿外仕入れの薬品費を認容した原判決の認定は相当であったということができる。

(5)  所論は、原判決が大法山病院では簿外仕入れの薬品を薬価基準の単価からまず三割差引き、さらにその三割安の値段で仕入れたとしたのは早計であるというけれども、原判決は前述のように薬価基準の三割安の値段で仕入れたと見ているのであるから所論は採用できない。

次に所論は、簿外仕入の薬品の割引率は一部の割安品を除けば平均して薬価基準の二割安程度であると主張し、これを前提として詳細な計算を示しており、被告人田中の原審及び当審における各供述、当審証人佐々木繁男の供述、同被告人作成の「起訴時及び一審判決の簿外薬品費及び最終薬価率計算方法の比較表」と題する書面、「薬価率の決め方と簿外薬品の現金仕入の算定について」と題する書面には右主張に添うものもあるが、原判決挙示の前記各証拠に照らしたやすく措信できない。すなわち、右各証拠によれば、病院が仕入れる薬品の値引率は、薬品の種類、仕入先、仕入時期、支払方法(現金か掛か)等により大きな差があって一概にいえないが、特殊薬品を除けば薬価基準の六掛(四割引)が普通とされており、三流メーカーの直販品は三掛(七割引)位になっていること、さらに簿外仕入れの薬品は公簿仕入れの薬品よりその値引率が高いといわれていたが、大法山病院が昭和四七年度に仕入れた年商三〇万円以上の公簿仕入れの薬品の値引率は前述のように三九・五一%であったこと、被告人田中自身原審において、公簿仕入れ以外にヤミ屋とかバッタ屋と称する行商人から一回に四〇〇万円から六〇〇万円程度の薬品を現金で仕入れていたが、領収書などはもらわず、手帳に薬品名と金額を記入していたところ、昭和四八年五月これを焼却した、バッタ屋から簿外で買うのは正常の公簿仕入れより安いからであると供述していることが認められる。したがって、被告人田中が公簿仕入れの薬品より高い値段(割引率の低い値段)で簿外仕入れの薬品を買ったとは到底考えられず、簿外仕入れの薬品が薬価基準の二〇%引きである旨の主張は採用できない。もっとも、前記約五〇名の患者のカルテに基づいて作成された薬価表等には特殊薬品等値引率の低い薬品が記入されているが、元々右カルテの抽出と購入薬品の原価表の作成は被告人田中に委ねられていたもので、後日これを修正した単価も現実の仕入れ価額ではないので、その単価、金額、数量等につきこれを裏付けるに足る領収書、仕入帳等の具体的資料のない本件においては、右のような値引率の低い薬品が若干あるからといって右認定を左右することはできない。したがって、簿外仕入れの薬品の値引率が約二割であることを前提とする所論はその前提を欠くことになり採用できない。

(6)  その他所論に鑑み記録を精査しても、原判決の薬価率、簿外仕入の薬品費等に関する認定に所論のような事実の誤認は認められない。

二  土地の譲渡所得について

所論は要するに、被告人田中は福岡県筑紫郡大野町上大利所在の山林、原野、雑種地等計一六筆合計一六、六七八坪(以下本件土地という)を昭和四二年一〇月から所有していたところ、右土地を含む付近一帯の宅地造成を計画していた日本信販株式会社(以下日本信販という)及び同会社から本件土地の買収と宅地造成工事を請負っていた大末建設株式会社(以下大末建設という)の両社の強い要請により本件土地を売却することになったが、短期譲渡となることを避けるため、昭和四六年九月一〇日被告人田中と大末建設との間で締結した本件土地の売買契約書において、売買取引の時期を本件土地取得後五年を経過した昭和四七年一〇月三一日とし、同日売買代金一億六、六七八万円を支払うと同時に所有権移転登記をし、即日右土地の引渡しをすることとした。右契約成立の際、被告人田中の要求により大末建設は日本信販から支払を受けた本件土地の売買代金を住友銀行福岡支店に定期預金として預け入れたうえ、これを担保として同被告人が同支店から同額の融資を受け、同時にその見返りとしてその頃日本信販が本件土地を含む付近一帯の宅地開発の資金として三菱信託銀行から融資を受けた二億円の借入金について本件土地をその担保として提出した。被告人田中は昭和四六年一一月三〇日大末建設から裏代金相当額八三九万八、〇〇〇円(八三三万九〇〇〇円の誤記と認める)を受領して本件土地の開発施行に同意した。したがって、本件土地の売買契約は将来の売買として有効であり、昭和四七年一〇月三一日大末建設は前記定期預金を解約してこれを被告人田中の借入金の返済に充当したので、本件土地の売買代金は同日同被告人に支払われ、同日本件土地の引渡が行われたことになる。しかるに原判決が、被告人田中及び大末建設の意思を無視して本件土地の売買契約は長期譲渡を仮装したものであり、大末建設が本件土地の売買代金を定期預金として銀行に預金し、これを担保として同被告人が銀行から同額の融資を受けたことは実質上は売買代金の受領と同視すべきもので、右売買代金は昭和四六年中に支払われたと認定したのは事実を誤認したものである。かりに然らずとしても、被告人田中は現実に土地代金を受取らず、また土地の所有権移転登記をしなければ土地の売買は成立せず、土地代金の収入はないものと考えていたのであり、右は関係税法の解釈を誤ったに過ぎず、脱税の犯意はなかったというのである。

(一)  本件土地の売買契約書及び登記簿謄本によれば、形式的には昭和四七年一〇月三一日に大末建設から被告人田中に対しその主張の売買代金が支払われ、同年一一月二日日本信販に対し右土地の所有権移転登記がなされているので、右売買代金は本件土地の所有権が日本信販に移転した日の属する昭和四七年分の総収入金額に算入すべきものとする所論も一理なしとしない。しかしながら、原判決挙示の関係各証拠によれば次の各事実が認められる。

(1)  被告人田中は、昭和四六年春ころ大末建設から本件土地の売却方交渉を受けた際、これを譲渡すると短期譲渡となり長期譲渡より高い税金を支払わねばならないので一応これを断った。しかし、大末建設としては本件土地が日本信販の計画した宅地造成予定地の約三分の一に当るうえその中心部分を占めていたので、これを除外しては宅地造成が不可能となるところから強力に同被告人に働きかけた。その結果両者間に売買の合意が成立し、同年九月一〇日住友銀行福岡支店において、売買取引の時期を短期譲渡となることを避けるため土地取得後五年を経過した同四七年一〇月三一日とし、同日本件土地代金一億六、六七八万円を支払いかつ所有権移転登記手続をする旨の同年一〇月二〇日付不動産売買契約書を作成した。そして大末建設が右土地代金相当額を同会社名義で同支店に定期預金し、これを担保として被告人田中が同支店から右同額を利率日歩一銭四厘期間昭和四六年九月一〇日から翌四七年一〇月三一日までとして借り入れたが、右借入金の利息は大末建設が負担することとし、同会社が同被告人の請求によりこれを同被告人に支払った。被告人田中は右契約が成立した九月一〇日に右借入金のうち一億一〇〇〇万円をその頃買入れた大分県別府市の土地代金等の支払いに充当し、同月一三日残代金を住友銀行福岡支店の通知預金としたが同月末には全額解除した。なお本件土地の本当の売買代金は一億七五一一万九〇〇〇円(坪当り一万五〇〇円)であったが、同被告人の希望により右代金を坪一万円相当の表代金一億六、六七八万円と坪五〇〇円相当の裏代金八三三万九、〇〇〇円に分け、右売買契約書には右表代金だけを記載した。

(2)  それより先昭和四六年九月八日日本信販は大末建設からの連絡で本件土地の売買代金等として二億円を三菱信託銀行福岡支店から借り受け、表代金一億六、六七八万円を日銀の保証小切手で、裏代金八三三万九、〇〇〇円を小切手でそれぞれ準備したうえ、同月一〇日住友銀行福岡支店において大末建設に手渡した。その際同被告人は日本信販の右借入金について本件土地を担保として提供することを承諾し、本件土地の権利証、委任状、印鑑証明書等を交付した。同年一一月三〇日同被告人は大末建設から裏代金八三三万九〇〇〇円を現金で受領(領収書は発行しない約束)し、同日本件土地の開発施行に同意した。翌四七年四月福岡県知事の開発許可があって本件土地の開発工事が始まった。なお被告人田中は、昭和四七年度の確定申告に当り、本件土地の譲渡所得の申告はしていない。当審証人高木邦郎は、本件土地の売買代金は昭和四六年九月一〇日頃被告人田中に支払われたと思っている旨供述している。

(3)  以上の各事実を総合すると、被告人田中は本件土地の売渡しが短期譲渡となることを回避するため、その便法を色々考えたが、売買代金の支払いと所有権移転登記が昭和四七年度になされたような形式をとり、昭和四六年九月一〇日その旨の売買契約書を作成し、その際大末建設が売買代金相当額を定期預金し、これを担保に被告人田中が同額の融資を受け、右融資金を直ちに別府市の土地代金の支払いその他自己の用途に費消しており、契約上の代金支払い日である昭和四七年一〇月三一日には住友銀行福岡支店係員が右定期預金と融資金とを相殺して書面上これを処理しているのであるから、本件土地の売買代金のうち表代金相当分(一億六、六七八万円)は売買契約の成立した昭和四六年九月一〇日に支払われたと見るのが相当である。また裏代金相当分(八三三万九、〇〇〇円)は同年一一月三〇日同被告人に支払われているのであるから、本件土地代金合計一億七五一一万九、〇〇〇円は右各支払い日の属する昭和四六年度における同被告人の収入金額にあたるというべきである。しかも同被告人のとった一連の行為は、国税局側が長期にわたる慎重な調査をして始めて発見できた程巧妙なものであり、所得税逋脱の目的をもって虚偽の契約書を作成し、税の徴収を著しく困難にするような工作を行ったものということができ、偽りその他不正の行為により所得を免れたものということができる。

(二)  次に所論は、被告人田中には所得税逋脱の故意がなく、単に関係税法の解釈を誤ったに過ぎないというのである。

しかしながら、被告人田中は本件土地の売買代金が短期譲渡になることを十分知りながらこれを免れるため、その売買代金のうち表代金相当分を翌年の昭和四七年度中に受領する旨の売買契約書を作成するなどして真実の所得を隠して申告せず、その余の所得についても所得金額及びこれに相当する所得税額を殊更過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告を所轄税務署に提出したのであるから、被告人に所得税逋脱の犯意のあったことはこれを否定できず、かりに所論のように同被告人が本件売買代金が長期譲渡所得になると思料したとしても、右は法の不知に止まり所得税逋脱の故意を阻却する理由とはなり得ない。論旨は理由がない。

第二量刑不当の論旨について

所論に鑑みて記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、大法山病院及び被告会社大得山株式会社を経営していた被告人田中が経理担当者に指示して経費等の架空計上や水増計上をし、あるいは自ら架空又は虚偽の領収書や売買契約書を作成するなどして昭和四六及び四七年分の所得の一部を秘匿し、虚偽の所得税確定申告書及び法人税確定申告書を提出し、右両年分の所得税及び法人税を免れたという事案であるが、右各犯行は極めて巧妙かつ計画的で、逋脱した税金額は所得税が合計一億六、六〇三万一、二〇〇円、法人税が合計六五七万五、五〇〇円の巨額に達していること、昭和四二、三年ころから経理担当者に経理の架空計上等を指示し脱税を重ね税務当局の査察を受けて重加算税を課せられたことがあること、その他本件各犯行の動機、態様、被告人田中の年令、経歴、性格及び犯行後の態度、被告会社の経営状況、規模等量刑の資料となるべき諸般の事情を総合勘案すると、所論指摘の諸事情を被告人両名に有利に斟酌しても、原判決の量刑は相当であってこれが重きに失し不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条に則り本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法一八一条一項本文により被告人田中に負担させることとして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安仁屋賢精 裁判官 徳松厳 裁判官 斎藤精一)

○ 昭和五四年(う)第二七六号

控訴趣意書

被告人 大得山株式会社

右代表者 田中千鶴子

同 田中得雄

右大得山株式会社に対する法人税法違反、田中得雄に対する法人税法違反・所得税法違反各被告事件について、控訴の趣意は、左記のとおりである。

昭和五五年一月一九日

弁護人 木下春雄

同 廣瀬達男

福岡高等裁判所第二刑事部 御中

第一 事実誤認

原判決は

(1) 被告人田中は、(イ)同判示第一の一、二のとおり、いずれも不正の行為により、昭和四六年分の所得については所得税一億二、七四八万五、七〇〇円を、昭和四七年分の所得については所得税三、八五四万五、五〇〇円を各免れ、(ロ)同判示第二の一、二のとおり、大得山株式会社の代表取締役として同会社の業務に関し、いずれも不正の行為により、昭和四六事業年度の法人税二七四万六、八〇〇円及び昭和四七事業年度の法人税三八二万八、七〇〇円を各免れ

(2) 被告人会社は前記(1)の(ロ)記載の原判示第二の一、二のとおり、不正の行為により、昭和四六事業年度の法人税二七四万六、八〇〇円及び昭和四七事業年度の法人税三八二万八、七〇〇円を各免れ

た旨認定した。

これに対し、被告人等は、所得税及び法人税についてこれを不正に免れる意思は全然無かった。公表帳簿に医薬品の仕入れ及び給食材料費その他の経費について架空計上あるいは水増計上したことはあるが、これは架空計上又は水増計上分に相当する金額の支出が実際にあったのであるが、その証憑書類等が無いためやむを得ず右のような手段をとったもので、これに相当する支出は何も無いのに架空に又水増し計上したものではない。

又雑所得についても、これを公表帳簿に記載しなかったのは、経理職員の不馴れによる記帳漏れであって、故意に計上しなかったものではないとして脱税の犯意を否認しているが、これらの点については、被告人等の側で大事な証憑書類を揃えるのに必要な手段を尽さず、これを怠っていた節も窺われるし、その他原審で取調べた証拠にあらわれた諸般の情況に照らすと、ここに更めてこれを主張する程のことではないと思料するので、しばらくこれを措くこととする。

しかし簿外仕入れの薬品費及び被告人田中の昭和四六年分の所得金額中、分離短期譲渡所得と認定されている分については、どうしても納得し難いので、右二点について特に事実誤認を主張するものである。

第一 簿外仕入れの薬品費についての事実誤認

(1) 原判決は、「当事者の主な主張に対する判断」の第一において、簿外薬品費について種々検討をかえた上、

昭和四六年分として 薬価率 二〇・一一%

昭和四七年分として 同 一七・五七%

を認容すべきものとした。

(2) 右薬価率は、昭和四六年分については、被告人田中作成の昭和五三年五月一六日付、昭和四六年・四七年分「国税局側提出の昭和五二年一二月二一日付五〇名分、昭和四七年薬価率計算根拠により作成した薬価率計算表」(記録第一〇冊二、九六四丁以下)中の昭和四六・四七年分薬価率を割安率で行った計算資料(記録二九七〇丁)によるもので、昭和四七年分については、昭和五二年一二月二一日付福岡国税局収税官吏大蔵事務官伊藤次男の査察官調査書(記録第九冊、二七九三丁以下)及び昭和五三年五月三一日付右同人の査察官調査書(記録第一二冊三六三七丁以下)によるものと思われる。

(3) 原審における審理経過及び証拠関係に照らすと、原審が右資料に基いて、前示各薬価率(昭和四六年分二〇・一一%、昭和四七年分一七・五七%)を採用して、検察官主張の昭和四六年分一五・二八%、昭和四七年分一四・九六%及び被告人側主張の昭和四六年分二三・一〇%、昭和四七年分二三・一三%のいずれをも採らなかったのは比較的妥当であったと思われる。特に、右各資料における薬価率の算出方法は、後記の点を除き相当としてこれを維持すべきものと考える。

(4) 尤も、右薬価率によると、

昭和四六年度においては、年間総収入額の二〇・一一%が年間総薬品費となるので、その額は

453,964,672×20.11%=91,292,295円

となり、これから公簿薬品費を差引いた

91,292,295-31,542,393=59,749,902円

が簿外薬品費となる。しかし簿外仕入れの薬品価格はその三割引と見込まれているので

59,749,902×70%=41,824,931円

が実際の簿外仕入れの薬品費という事になり、この金額が原判決の認容した簿外薬品費となっているのである。

そうだとすると四六年の年間の薬品費総額は

31,542,392+41,824,931=73,367,324円

であり、これは年間の総収入額に対し

73,367,324÷453,964,672=16.16%

即ち一六・一六%に過ぎないことになる。

同様に昭和四七年分についてこれを見るに、

579,061,220×17.57%=101,741,056(年間総薬品費)

101,741,056-33,430,050(公簿仕入れ薬品費)=68,311,006(簿外薬品費)

68,311,006×70%=47,817,704(実際の簿外薬品費で原判決認容額)

(33,430,050+47,817,704)÷579,061,220=14.03%

即ち一四・〇三%に過ぎないことに留意したい。

(5) 右に見たとおり、最終薬価率は、昭和四六年分一六・一六%、同四七年分一四・〇三%と可なり低率となってくるのであるが、これを原判決の指摘する福岡国税局管内の精神病院七一の平均薬価率の昭和四六年分一六・四八%、同四七年分一四・四三%に比すれば、いずれもむしろ下回っており、原判決のいうように上回ってはいない。又昭和四四年分及び同四五年分の大法山病院の薬価率に比すると、その査察額を多少上回っているに過ぎない。

(6) しかし、右は簿外薬品の現金仕入れを、各薬品とも一率に社会保険研究所発行の薬価基準点数早見表(以下薬価基準という。)の単価から三割を差引いて計算したものを一般仕入れ価格とし、その一般仕入れ価格から更に三割安で仕入れたものと決めて計算しているものである。

簿外薬品の現金仕入れについては、被告人田中及び福田恵は、国税局の査察段階において市価の三割安で仕入れたとしており、検察官の取調べに対してもこれを維持しているのであるが、これは被告人田中と査察官との話合の上で妥協させられた割安率であって、実際の割安率を計算して割り出した数字ではないのである。その真実性については明らかに疑問がある。

しかるに、原判決は、この点について何等疑問を差しはさまず、何等の検討も加えることなく、簡単に通常の仕入れ価格の三割安として計算しているが、事実を誤認したものと言わざるを得ない。

(7) 簿外仕入れの薬品についても、薬品の種類により薬価基準より著しく安値で購入できるものと、薬価基準と余り差がなく一割から精々二割安位でしか購入出来ないものもある。

その薬品名が一流メーカー品であればある程、値引率は少なく薬価基準に近いものであって、一率に安いものであると決めかねるのである。

そして簿外仕入れの薬品中値引率の高いものの比率は一応二割位であることは、被告人田中が第一三回公判において供述しているとおりである。

試みに、薬品費率の算出基準とされた昭和四六・四七年の患者五〇名に投薬された総薬価合計額の中から値引率の高い割安品の比率を調べて見ると、割安品は総薬価合計の、昭和四六年分では一五・七〇%、昭和四七年分では一四・三三%で、又、薬価基準により算出した薬品の薬価合計額の中の割安品の比率は、昭和四六年分で二〇・八二%、昭和四七年分で二三・四三%で、平均二二・一二%と二割強に過ぎない(以上については控訴審において資料を提出する。)。

以上のとおり、薬価基準により算出した薬品費(簿外仕入れの薬品費)の中で値引率の高いもの(安いものは五割から八割引のものもある。―第一三回公判における被告人田中の供述、九五三問答以下参照)の薬品費は二割強に過ぎないのであって、八割弱はその値引率が一割五分から二割程度のものである。

従って、これを平均しても、その値引率は到底三割に及ぶことはあり得ず、少くとも割安品以外の薬品についてはその値引率を二割程度と見るのが妥当なところであろう。

この点被告人側として原審において十分資料を提出しておらず、その為、裁判所の注意を喚起出来なかったのは遺憾であるが、だからと云って原審が値引率を一概に三割位と決めつけて簿外仕入れの薬品費を算出したのは早計に過ぎるもので、明らかに事実を誤認したものと断ぜざるを得ない。

(8)(イ) そこで、原判決が認容した薬価率昭和四六年分二〇・一一%を算出した計算方法に従い、簿外仕入れの薬品費を薬価基準により算出した価格の二割安として計算すると、薬価率は昭和四六年分二二・〇七%、同四七年分一九・一六%となる。(前示第一の(2)の被告人田中作成の薬価率計算表の計算資料記録二九七〇丁参照)。

(ロ) その薬価率によると、各年分の総薬品費は

昭和四六年分 453,964,672×22.07%=100,190,003円

同 四七年分 579,061,220×19.16%=110,948,129円

となり、これにより公簿仕入れの薬品費を控除したのが薬価基準により仕入れた薬品費となり、その金額は、

昭和四六年分 100,190,003-31,542,393=68,647,610円

同 四七年分 110,948,129-33,430,050=77,518,079円

となるのであるが、その中には前示のとおり昭和四六年分について二〇・八二%、同四七年分について二三・四三%の割安品が含まれているので、その割安品の割合を求めると、

昭和四六年分 68,647,610×20.82%=14,292,432円

同 四七年分 77,518,079×23.43%=18,162,485円

となり、その割安品の割安率(値引率)を各三〇%とすると、

昭和四六和分 14,292,432×70%=10,004,702円

同 四七年分 18,162,485×70%=12,713,740円

が割安品の薬品費となるのである。

(ハ) 従って右割安品を除いた前示薬品価基準の二〇%安の薬品費は、

昭和四六年分 68,647,610-14,292,432=54,355,178円

同 四七年分 77,518,079-18,162,485=59,355,594円

となり、これに割安品の薬品費を加えると、

昭和四六年分 54,355,178+10,004,702=64,359,880円

同 四七年分 59,355,594+12,713,739=72,069,333円

となり、この金額が簿外仕入れの全薬品費となるわけである。

(ニ) そうだとすると、原判決が認容した

昭和四六年分 四一、八二四、九三一円

同 四七年分 四七、八一七、七〇四円

では

昭和四六年分について 二二、五三四、九四九円

同 四七年分について 二四、二五一、六三〇円

不足することになり、この金額だけ過少に認定を誤ったことに帰する。

(ホ) しかして以上の計算によると総薬品費は、

昭和四六年分 31,542,393+64,359,880=95,902,273円

同 四七年分 33,430,050+72,069,333=105,499,383円

となるが、その総収入金額に占める比率は、昭和四六年分二一、一三%、昭和四七年分一八・二二%に過ぎないので、原判決の認容するところより、昭和四六年分において僅か一・〇八%、昭和四七年分において僅かに〇・六五%上回っただけであり、過大にすぎるものではない。

これを要するに原判決の認容した簿外仕入れの薬品費には叙上のような事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすべきこと明らかであるから、原判決はこの点において破棄せらるべきである。

第二、土地の譲渡所得についての事実誤認

(一) 原判決は、昭和四六年分の所得金額の中に分離短期譲渡所得一億二、八八八万八、四〇〇円があるとして、これについて真実は、土地売買契約は昭和四六年中に締結し、その代金も同年中に支払いを受けて土地の引渡しを終えていながら、これを分離長期譲渡であるように仮装するため、売買契約年月日を昭和四 年一〇月二〇日に、引渡年月日を同月三一日にそれぞれ遅らせた不動産売買契約書及び領収書を作成するなどの手段により昭和四六年度の所得の一部を秘匿した旨認定しているが、右のうち土地の売買契約を昭和四六年中に締結したこと、その契約書の作成日付を昭和四七年一〇月二〇日としたことはその通りであるけれども、昭和四六年中に代金(裏金を除く)の支払を受けて土地の引渡しを終えていたという事実はなく、分離長期譲渡であるように仮装したこともない。

(二) 原判決挙示の関係証拠によると、本件の事実の経過は以下のとおりである。

(1) 日本信販株式会社(以下日本信販という。)は、本件土地(被告人田中が昭和四二年一〇月一四日後山繁之から買受け同月一六日所有権移転登記を経由して所有していた福岡県築紫郡大野町上大利所在の山林、原野、雑種地等一六筆合計一六、六七八坪)を含む五万坪余の土地を買収してこれを宅地に造成して売り出す南ケ丘ニュータウン建設計画を樹て、そのための右土地の買収及び宅地造成工事を大末建設株式会社(以下大末建設という。)に請負わせた。

(2) そこで大末建設は、先ず右造成予定地の買収にかかったが、被告人田中としては本件土地を直ちに売却すれば取得後五年を経過していなかったので、所謂短期譲渡に当り、長期譲渡より高い税金を支払わねばならないので、これを断った。

しかし大末建設としては、本件土地が右造成予定地の略三分の一に当る上、その中央部分を占めているので、これを除外しては宅地造成の意味が無くなるところから、何としてでも買収する必要があり、被告人田中に対し執拗に売却方を懇請して来たが、被告人田中が応じようとしないので、共同造成ないし造成協力などの案をも提示して来た。

そこで被告人田中も、当初は造成協力ということで、本件土地についても日本信販の負担で他の土地と一緒に宅地に造成し、完成後の造成を、うち五七%を日本信販に提供し、残り四三%を同被告人が取得することで話合った(記録第一冊二七八丁被告人田中の承諾書参照)。

しかしこれでは被告人田中において右取得した造成地を自ら売買処分しなければならず面倒であると考えられたので、大末建設の強い要望もあり、短期譲渡さえ避けられればよいという事で、結局本件土地の売却に応ずることとした。そこで、あくまで短期譲渡を避けるため、売買取引の時期を本件土地取得後五年を経過した昭和四七年一〇月三一日とすることにし、大末建設においても、右売買完了前でも宅地造成のための開発に同意して貰うことでこれを了承した。

(3) かくして昭和四六年九月一〇日被告人田中と大末建設との間で本件土地の売買契約書を作成したが、その内容は、右合意に基ずき売買代金一億六、六七八万円を所有権移転登記のときに支払う、所有権移転登記は昭和四七年一〇月三一日に行なうこととし、同日本件土地の引渡しもする、というものである(不動産売買契約書、記録第一冊二七〇丁以下参照)。

尤も右契約書にその作成日付を昭和四七年一〇月二〇日と記載したが、これは売買取引の日時が同月三一日であるので、その直前に契約書が作成された如く見せようとしただけのことで、原判決認定のように、売買取引は実際には昭和四六年九月一〇日に行われたのに昭和四七年一〇月三一日に行われた如く装うためにしたものではない。

(4) 他方大末建設と日本信販との間では、これより先昭和四六年八月一二日本件土地を含む五万坪余の土地につき売買契約が締結されており、本件土地代金に見合う一億七、五一一万九、〇〇〇円について同年九月中に支払うこととされていた(前同二七九丁以下参照)。

即ち本件土地については、大末建設においては、未だ被告人田中と売買交渉も成立していない前において既に日本信販に対しこれを売却する旨の契約を締結していたのである。大末建設としては何としてでも本件土地を入手するつもりであったことが窺われる。

(5) これより先、被告人田中は、別府市天間字松塚及び字上野所在の原野一三万五、九三三平方米を買受けることにしていたので、その代金に当てるため相当額の融資方を住友銀行福岡支店次長藤本鉄雄に申入れていたが、右藤本次長の示唆もあって、大末建設が日本信販から支払を受ける本件土地の売買代金を右住友銀行福岡支店に定期預金として預入れて貰い、これを担保として同支店から右定期預金相当額を借入れることとした。

大末建設においても、日本信販から支払を受ける土地代金は、いずれ被告人田中に支払うべきものであるので、同被告人の要請に応じ、右のとおり本件土地の売買取引時までこれを定期預金として預入れて同被告人の借入金の担保に提供したのであるが、同時に、その見返りとして、日本信販が本件宅地造成費用として三菱信託銀行から借入れた二億円について本件土地をその抵当物件として提供することを要求したので、被告人田中もこれに応じ、抵当権設定に必要な本件土地の権利証、委任状、印鑑証明書を日本信販に交付した。

右のとおり被告人田中は日本信販に対し本件土地の権利証、委任状、印鑑証明書を交付しているが、それは飽く迄も抵当権設定登記に必要であるから、その為にのみ交付したもので、所有権を移転させる為でなかった。(事実当時は抵当権設定登記は為されているが、それだけで所有権移転登記は為されていない。)従って、その時本件土地の引渡しがあったということもないのである。

(6) 被告人は昭和四六年一一月三〇日大末建設から裏代金相当額八三九万八、〇〇〇円を受領し、同日本件土地の開発施行に同意したことは原判決説示のとおりである。

(7) 翌四七年一〇月三一日大末建設は前記定期預金を解約し、その金は予ての合意に基ずき被告人田中の前記借入金の返済に当てられたので、同被告人は同日右売買代金を受領したことになり、その旨の領収証を大末建設に交付した。

因に原判決は大末建設が被告人田中に対し売買代金領収書を交付したと説示しているが書誤りであろう。なお被告人田中の領収証は右日時(昭和四七年一〇月三一日)に作成されたもので昭和四六年九月一〇日ないし一三日に作成されたものではない。その事は被告人田中と大末建設間の本件土地売買契約書(記録二七一丁以下)に押捺されている同被告人の印影と領収証(記録二七五下、検甲三〇の二号)の同被告人の印影とが同一でないことからも推認できる。

(8) 以上のとおり、本件土地については、その所有者たる被告人田中において、これを買入後五年を経過しない間においては、短期譲渡になるので売却する売思は全然なかったので、大末建設側からの買取交渉には応じなかったのであるが、大末建設としては何としてでもこれを入手する必要があり、ただ直ちに入手出来なくても開発完成時までに確実に入手出来ればよく、かつ開発施工には地主の開発同意さえあればよく所有権の移転を必要としなかったので、入手後五年を経過した時点であれば売却してよいとする被告人田中側の条件をのみ、売買取引日時を昭和四七年一〇月三一日とする本件売買契約に応ずることとしたので、こゝに本件売買契約が成立するに至ったものである。

ただ、右契約は将来の売買を約束したものであるから、被告人田中側で途中で違背されないようにしたいし、又、開発行為も急がねばならないので同被告人の開発同意を得る必要があるところから、更に同被告人の要求に応じ日本信販から支払を受けた本件土地代金を住友銀行福岡支店に定期預金として預入れた上、これを同被告人が同銀行から融資を受けた借入金の担保に提供し、同時にその見返りとして日本信販が本件宅地開発の資金として三菱信託銀行から融資を受けた二億円の借入金について、その担保物件として本件土地を提供させることにし、次で裏代金を支払って開発同意書を差入れさせる等の操作をしたものである。

(9) 右のとおり本件土地は、大末建設と日本信販との間においては、大末建設が未だ被告人田中から買受ける契約も出来ていない以前において既に売買契約が締結され、その代金も昭和四六年九月に支払うこととされていたもので、この契約に基ずいて日本信販は同月一三日に右代金を支払っているのであるが、この事は、日本信販が本件宅地の開発造成を急ぎ仕上げたいと考えて大末建設を急がせ、大末建設もこれを受けて土地の買収及び宅地造成を急いでいたことを物語るものであるが、この事は被告人田中としては関係のない事であった。同被告人としては自己の利害を考え短期譲渡になるような売り急ぎはあくまでも避けることにし、かつこの考えを貫いた。

一方、大末建設は同月一〇日の被告人田中との本件土地についての売買契約に基ずいて、本件土地の売買取引は翌四七年一〇月三一日に行なうこととなったので、それまでは、日本信販から受取った右土地代金はこれを同被告人に支払う必要はなく、又支払うことは出来ないので、これを日本信販からの預り金と心得て保管していたのである(証人西村悟の第一六回公判における証言)。これを定期預金として預入れ、その定期預金を被告人田中の銀行融資の担保に供したことをもって、右代金を同被告人に支払ったものとの考えは全然なかった。

従って勿論大末建設は右定期預金の利息はちぇんと受領していた。又被告人田中も自らその借入金に対する利息を支払って来たし、本件土地についての公租公課及び町内負担金も昭和四七年一〇月三一日までの分を支払っているのである。ただ、大末建設は被告人田中に対し、同被告人が融資を受けた前記借入金の利息という事で昭和四六年九月一〇日から同四七年九月二〇日までの間に計一、七二四万七、九八二円を支払っているが、これ又結局被告人田中所有の本件土地を優先取得する為の条件と心得ていたものである。

(10) 以上の次第であるので、大末建設と被告人田中との間において本件土地につき昭和四六年九月一〇日売買契約が締結されてはいるが、その契約内容は、本件土地の売買取引を昭和四七年一〇月三一日に行うことにするというものであり、将来の売買として勿論適法である。

ただ、右売買代金は別途大末建設と日本信販との間で締結された本件土地の売買契約に基ずき日本信販から大末建設に支払われることになっていたので、大末建設はこれが支払を受けて被告人田中に対し、その支払をすることは出来たのであるが、そうする訳にはいかず、又被告人田中も支払を受ける筈がないので、両者の間ではこれが授受の話は全く行われていないのである。

しかし、たまたま、被告人田中が住友銀行福岡支店から相当多額の融資を受けるに際し、同支店次長藤本鉄雄の示喚に基ずきこれを同支店に定期預金として預け入れて同被告人の右借入金の担保に提供するよう求めたので、その通り取計らったものです。

即ち右代金は、あくまで受取るわけにはいかない、これを受取るのは昭和四七年一〇月三一日売買実行のときであるという事を前提として総てが取り運ばれているのである。

原判決は、この事を一の仮装行為であると断じているが、いずれも適法な行為であり、事実として行われた行為である。

被告人田中が先に昭和四四年分の所得税の確定申告に際して松田義一から買受けた土地について取取年月日をずらして契約書を作成し長期譲渡を仮装したことを取上げて本件の場合も同様長期譲渡を仮装するためであったと断じているが、両者は全く事情を異にする。松田義一から買受けた土地は、昭和四二年中に買受けたものを長期譲渡を仮装するため殊更契約書を書き換えてその前年の昭和四一年中に買受けたものとしたのであって、これこそ正しく過去の事実を曲げて長期譲渡であるかの如く装ったものであるが、本件の場合はその様に事実を曲げた節は少しもなく、むしろ曲げないで済むように四六年中に売却しては短期譲渡になるからこれを避け、そのようにならないように一年後の昭和四七年一〇月三一日に売買することにしようというものであり、将来の売買契約としてもとより適法有効な処置であり、決して仮装行為ではない。

そしてその趣旨を貫くために、売買代金は既に準備されていたのに、これを受取らないで必要な資金は銀行からの融資で賄うことにし、ただその融資を受けるについて担保に提供して貰ったに過ぎない。

原判決は、たまたま被告人田中が融資を受けた金額が右代金担当額であったこと及び右代金を定期預金として預け入れさせ、これを担保に提供して貰ったことから、右代金がその日時に借入金という形で支払われているとして、これを本件土地の譲渡代金と評価すべきものと断じているが、余りにうがち過ぎた見方で、明らかに事実を誣いるものである。事はもっと素直に見て無理のない解釈をすべきではあるまいか。

短期譲渡を避け、長期譲渡になるのを待って処分したいとすることが何か法を曲げるものと考えられているのではあるまいか。短期譲渡にならないように譲渡の時期を先にのばし、長期譲渡と認められる時期になって売買することは所謂節税であるが、節税は脱税ではない。節税のために売買取引を翌年に行なうことにし、翌年になれば手に入るべき売買代金を担保として借金することは何等差支えない事であり、代金の受領と同視すべきことにはなるまい。

被告人田中としては銀行融資を受けるについて必ずしも大末建設が持っているその売買代金を担保に提供して貰う必要はなかった。同被告人自身他に相当の不動産等を所有しており、本件程度の相当高額の融資であっても、その担保に事欠くことはなかった。それを殊更担保に提供して貰ったのは、日本信販から一切を請負った大末建設が、どうしても被告人田中所有の本件土地を売却して貰いたいと執拗に懇請して来るし、今年は売れない、来年なら売ってよいと譲歩すると、それでもよいから売ってくれと売買契約の締結を求め、他方、未だその売買契約もととのっていないのに早々と月本信販との間に本件土地等の売買契約をしたばかりか、その代金まで受領することにしているので、被告人田中としても折角本件土地を売却することとしたからには、その代金を確実に支払って貰いたいし、これに対し大末建設側としても、本件土地の売買取引が一年後であるため、その間違背のないように契約を確実なものにしておく必要があるとしたことから、互にその利害をからませて本件のような相互に担保を提供させることになったもので、原判決の言うように、長期譲渡を仮装するための操作というものでは決してないのである。

短期譲渡にならないようにすることが被告人田中の意思であり、大末建設ないし日本信販も同被告人のこの意思を受けて短期譲渡にならないようにすると共に、本件土地を被告人田中から確実に譲り受けて出来るだけ早く宅地造成を完成させたいとするのが大末建設ないし日本信販の意思であったのである。

原判決は被告人田中及び大末建設らのこの意思を全く無視し、或は悪意に解釈して本件借入金をもって売買代金の支払いと同視すべきものと断じているが明らかに事実の誤認である。

仮りに百歩を譲って被告人田中が以上のように大末建設に本件土地の売買代金を定期預金として預入れさせ、これを担保として同額の融資を受けたことが実質上は売買代金の受領(原判決は、これを本件土地の譲渡による収入金という。)と評価すべきものであるとしても、被告人田中としては合法的な節税の目的に出たもので、不法に所得税を免れようとしたものではない。現実に土地代金は受取らず、土地の所有権移転登記をしなければ土地の売買は未だなされず、従って土地代金の収入はないものと考えてしたものであるから、単に関係税法の解釈を誤ったに過ぎず、被告人田中には脱税の故意はなかった。

従ってこの点について被告人田中には逋脱犯は成立しない。

以上の次第であるから原判決には重大な事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすべきこと明らかであるので、原判決はこの点においても破棄を免れない。

第二点 量刑不当

原判決は本件につき被告人大得山株式会社を罰金一五〇万円に、被告人田中得雄を懲役一年二日(三年間執行猶予)及び罰金三、〇〇〇万円に処することとしたが右は諸般の情状に照らし重すぎて不当であるからこれを破棄し、更に御寛大な判決あるべきものと思料する。

(1) 被告人らに多額の脱税ありとされて国税局の強制査察を受けることとなり、本件起訴を見たことは誠に遺憾であり、被告人田中として十分反省し、斯様な不祥事は二度とあってはならないと深く戒心しているところである。

(2) 殊に本件記録を通じて痛感されるところは、大法山病院にしても、大得山株式会社にしても、経理事務の処理が甚だ社撰であって、その事が事を誤る基をなしており、且つ、査察に必要以上の手数をかけさせることゝなったと思われることである。折角青色申告を認められていたのであるから被告会社としてもこれに対応する手当が為さるべきであったと思われる。

しかし被告人田中において事ここに出でなかったとしても、常時五〇〇名を超える入院患者を抱えて献身している医師として、本来の医業に追われる余り、この方面の配慮に欠けるところがあったとしても致し方のないことではあるまいか。要は爾後の処置を誤らず二度と同じ間違いを繰返さない事であり、被告人田中もこの事には十分反省し、本件査察及び審判をよい薬として日常慎重に注意しているし、本件以後は診療報酬の所得計算の特例による確定申告をしているので、今後再犯のおそれは全くないものと確信する。

(3) 被告人田中は、本件査察の結果、特に重加算税として昭和四六年分所得税について四、三六六万九、八〇〇円、昭和四七年分所得税について一、七一〇万四、五〇〇円、計六、〇七七万四、三〇〇円を、又被告人大得山株式会社は、重加算税として昭和四六年度分一七一万六、六〇〇円、昭和四七年度分一四九万四、〇〇〇円、計三二一万六〇〇円が課されている(この点は控訴審において立証する)。

重加算税は逋脱犯に科せられる罰金刑とはその性質を異にするものではあるが申告納税を怠った者に対し本来の租税に附加して、これとは別に制裁的意義をもって賦課されるものであるから逋脱犯に科せられる罰金刑とその原因根拠を同じくし、ただ逋脱犯は不正の行為に着目し、これに対する制裁として科される点で異るに過ぎない。

従って共に国家という同一の人格が一の納税義務違反の行為に対し一面行政罰として重加算税を課し、他面刑罰として罰金等を科するものであるから、その間には十分関連を持たせて考慮する必要があると考える。

即ち被告人に対しては、既に本件脱税に対して行政上の処分として前示のとおり六、〇〇〇万円以上という著しく重い制裁が課されているのであるから、刑罰特に罰金刑の量定に当っては右行政上の処分を十分考慮に入れて、量刑さるべきものと思料する。

叙上の諸事情に照らして考えると、被告人大得山株式会社に対する罰金刑も、又被告人田中に対する量刑として、特に執行を猶予することにされているとは言え一年二月もの重い懲役刑を量定している上に更に三、〇〇〇万円もの多額の罰金刑をも科することとしたのは、共に明らかに重きに過ぎるもので、当然不当としてこれを破棄し、更に御寛大なる判決を賜るべきものと思料する。

以上

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